今や映画界を代表するクリストファー・ノーラン監督は、キャストをリピートすることでも有名だが、中でも最多出演となるのは王御所マイケル・ケイン。「バットマン・ビギンズ」以降、連続出演を果たしており、見る側としてはどこで出てくるか、毎作品楽しみでもあるだろう。今回は恩年88歳(2021年10月現在)を迎えているマイケル・ケインの映画人生に迫る。
兵役時代を経て、映画業界に足を踏み入れる
1933年3月14日イギリスのロンドンで、魚市場で働く父と掃除婦の母の間で生まれたマイケル・ケイン。1940年にはナチス政権下にあるドイツが、イギリスを大規模な空襲で襲い、ロンドンから田舎町に住む場所を移した疎開者でもある。彼はその田舎町で地下の食器棚に閉じ込められるなど、いわゆる児童虐待を経験しており、現在はNSPCCと言われる全国児童虐待防止協会の会員になっている。16歳で働くことは決めた彼は、レストランや工場現場など様々な職種に就いたのち、20歳になる前に、2年間の兵役を経験する。その後、両親の反対を押し切り、舞台監督の助手を勤めながら、俳優を志し、1956年の「A Hill in Korea(韓国の丘)」で映画デビューを果たした。
早々にアカデミー賞にノミネートされるも20年越しに掴んだオスカー像
デビュー後、着実に演技力を身に付けていったマイケル・ケインは、クールでシニカルなキャラクターとして環境を印象付けた。そして1966年公開の「アルフィー」で初のアカデミー賞主演男優賞にノミネートされ、「探偵スルース」では、当時名女優として確立していたローレンス・オリヴィエと五分に渡り合う演技をみせたことで、その地位を確かなものしていくが、その後、約20年間オスカーを手にすることはなかった。そんな彼に不運でもあり転機が訪れたのは、1986年公開「ハンナとその姉妹」の上映。この作品でついに、アカデミー賞助演女優賞に選ばれたのである。しかし、なんと彼は「ジョーズ’87 復讐篇」の撮影真っ只中で、授賞式を欠席したのである。それもそのはず、彼はスケジュールと出演料の都合さえあえば作品を選ばない性格であり、多大な作品に出演していた。88歳の現在で、主演本数は100本以上と驚異的な数字を残している。その後、2度目のオスカー獲得となったのは1999年公開の「サイダーハウス・ルール」。多忙な人生を送っているマイケル・ケインに司会のビリー・クリスタルに「授賞式の休憩中にも1本撮るのかい?」と茶々を入れたことでも有名だ。
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ジャック・ニコルソンの脚本が現役引退を止める
60歳付近で現役引退を考えていたというのは、彼の有名な話の一つでもある。理由はわからないが、現役を退く決意を決めていたそう。しかし、そんな彼を止めたのは名優のジャック。ニコルソンだった。「「ブラッド&ワイン」っていう映画を一緒にやらないか?」と脚本を片手に歩み寄ってきたジャック・ニコルソンの言葉に、引退という言葉徐々に薄れていった。この作品が大ヒットを記録することはなかったが、この作品を機に、アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞を受賞することができたとマイケル・ケインは語っている。そしてその後は、ノーラン監督作品の定番俳優として、世界中で名を馳せ、「ダークナイト」「プレステージ」「インセプション」などに出演し、厳しい時もあるが心優しいおっちゃんを演じ続けている。まだまだ色あせないその演技力で、「ファーザー」のアンソニー・ホプキンスが持つ、最高齢受賞の記録を塗り替えして欲しい。
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